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2004/08/19

三井美唄


8月3日、かつて三井美唄だった地域を訪ねました。

ここにはかつて一大市街が形成されていました。函館本線美唄支線も通っていましたが、時代の流れには抗せず73年に閉山。しかし少なくない人々が、炭住を買い取り今でも住み続けています。人のにおいが残っている街です。

上の写真は三井美唄小学校跡にある南美唄公園。三井美唄小学校はかつて日本一のマンモス小学校でした。


美唄駅前で拾ったタクシーの運転手さんが「この道40年」のような方で、いろいろ案内していただきました。ここが炭鉱の跡です。右上にホッパーがあるようですがこの時期緑が多く見えませんでした。っていうかここ私有地だと思うのですが(^^;;) さすがは地元のタクシーの運転手さん、ちゃんと許可つきで進入してますのでご安心を。


元炭鉱事務所。手直しされているものの未だ現役で使われています。


そしてここが旧炭住街。現在もたくさんの人が住んでいる、日本唯一の「生きている」炭住街です。


典型的な現役の家の例。みなさん、たくましく生きています。

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