2019/10/06
シンポジウム2「歴史の中のLGBT」
「日本史の中のLGBT(のような人たち)」三橋順子(明治大学文学部)
LGBTは日本の歴史上の話をする上では異なる概念、男色と男性同性愛は別概念、なので「(のような人たち)」とする
多様な・非典型な性は古今東西存在する
4500年前のチェコの男性人骨が女性の埋葬品・埋葬の向き
弥生時代の種子島のシャーマン人骨に1体だけ男性人骨
日本の伝統宗教(神道・仏教)は同性愛・異性装を禁じていない
女装シャーマン、稚児 白拍子(稚児装の女性)
藤原頼長は別として、武家と少年の性愛→衆道
陰間茶屋
女性同士は13世紀の小説にあるくらい
江戸時代には張方を使った女性同士の性交の浮世絵がある
記録者がほぼ男性であるために記録されていない可能性
若旦那、女性、少年の3P浮世絵、この若旦那は同性愛か異性愛か、という問いには意味がない
前近代日本の「男色」文化は、ほとんどすべて年齢階梯制を伴う
年長者は農道、年少者は受動、年少者のジェンダー転換はあることもないことも
年齢とともに無限サイクルしていく
同性愛・両性愛の区分が無意味な状況では両性愛概念もない
いっぽう、異性装は神に近づく行為として普遍的に見られる
兵児(へこ)
出水兵児 1966年の碑
兵児二才(へこにせ)
薩摩藩の郷中(ごじゅう)教育のための青少年組織
屯田制度、兵農分離ができていない
儒教教育に由来するミソジニー、戦闘集団要素(スパルタ、花郎との類似)
同性性愛の直接の記録はないが、陰間茶屋の記述に薩摩藩の勤番武士が出てくる
武士層は陰間茶屋、それ以外は飯盛女
1873年(M6)、行為としての男色が禁止される(1882年まで)
白川県(熊本北部)からの要請、南九州の学校や私塾での学生間の男色行為を取り締まる
薩摩はあまり取り締まらず
白袴隊(明治中期の東京の男色強姦集団)が薩摩人の関連(江戸にやってきたから)と宣伝されたが濡れ衣の模様
谷崎潤一郎などもそのイメージに毒されていた
明治末期、薩摩の中学校で「二才児競争」高学年が低学年の美少年の手を引く競争
「尻付き」アナル強姦の風習
もはや伝統の継承などではなく純然たる性暴力
学校教育の普及とともに全国展開していった男子校での男色行為の流れか サムライゼーション
これらから「鹿児島では男性同性愛が盛んであった」というのは誤り
ただしミソジニーや年齢階梯制などは戦後の男性同性愛文化に強く影響を与えており、今後の検討が必要
「薩摩の士風・男性と女性、男性と男性の関係について」東川隆太郎(かごしま探険の会)
鹿児島の性風習については自らの記録がほとんどなく、他からの旅行記などに出てくる
大河ドラマの時代考証に協力したが、鹿児島市街にはほぼなにも参考になるものが残っていなかった
その中で調べられたことを報告する
西郷原理主義者が林真理子小説の男色描写に激怒、「西郷どんがそんなことするわけない」w
「賤(しず)のおだまき」戦国時代を描いた明治時代の小説
郷中(ごちゅう)教育制度は地域教育であり藩コストゼロ
小稚児-長稚児-稚児頭-二才(14・5歳くらいから)-郷中頭 絶対服従の縦組織
閉鎖性が高い、男同士のつながりが密過ぎる組織
女性の教育は家庭に委ねられる
武士間でも格差があり、地方出身者が城下の武士に蔑まれる
郷中教育は社会教育、それとは別に藩教育もあり、そこで開明性を確保していた
人のつながりや情は家庭教育
閉鎖的な郷中教育だけでは人材が育つはずもなかった
大河ドラマで子どもに歌を唄わせたい、しかし当時の歌は稚児ネタしかない!
しかも性交が痛いとかそういうのばっかり!! 結局歌のシーンは無しにw
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