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2019/01/27

市ヶ谷駅で下車して防衛省

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3枚目は中大市ヶ谷キャンパスからの横断面ですが、かなりの急斜面が敷地になっています。そしてここは12世紀は庵がひとつあるだけの芝原で、その庵に住んでいたのが覚鑁上人の仮住まい、よって後に覚鑁寺と名付けられ、その前の坂道が覚鑁坂となりました。それも1626年には根来坂と改名され、1642年には覚鑁寺も牛込に移転して報恩寺に改名されました。
で、まさにこの覚鑁寺・坂の「鑁」が、JIS第二水準に収録されたものの当時の漢和辞典に記載のない幽霊文字だということです。月頭に栃木県足利市の鑁阿寺に行きましたが、幽霊文字を研究した笹原宏之先生の論文では、「鑁」の実在例として、鑁阿寺とともにここが挙げられています。いまでは痕跡もなくそもそも近寄れず詳細な位置情報もわかりませんが、とりあえずこれで「失われた幽霊文字の関連地」を訪問したこととします!(^◇^;)

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